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2014.10.27 一枚の写真のおかげで大学中退を免れました

フォトアドバイスの佐藤です。

「写真のチカラ」シリーズ

今回は、みなさんからいただいた中から 4件のエピソードを紹介します。

なぜ私は写真を撮るのか?

なぜ私はカメラと出会ったのか?

ほんの少しでも、

想いを馳せるきっかけになればと思います。

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私は我が家の出来事や旅行・行事などを 写真の日記アルバムにしています

A4のPhotoMat用紙を使い クリヤーファイルに入れているだけですが デジカメが出始めたときに、 軽い記録のつもりでコメントを入れながら、 1,2枚にまとめて作ったのがきっかけです

アルバムになっているのは1999年が最初ですが、 当時は紙の質も悪く、変色していますが いまでも十分見られます。

データは残っているので、 その気になれば作り直しも可能です

日記も良いのですが、毎日書くのが おっくうな私は、写真を見ながら、 また配置やコメントを考えながら 写真日記を作るほうが楽しく、 又写真があるとあとからまとめて作っても 出来事が鮮明に思い出せます

写真日記は普通の日記と違い、人に見せたり、 あるいは家族で眺めたりするために作る性格が あるような気がします。

それが写真の持つ性格なのでしょう。

今では我が家の歴史書みたいなものになっています

東京都 在住 伊藤さん

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大学時代、龍谷大学の写真部にいた。

卒業式を待たずに新聞社に勤務したのは良いが、 体育のY講師から連絡があり

「教養課程でレポートが出ていないので2単位不足、 このままでは卒業できない、スポーツに関した いい写真を提出しろ、レポート代わりだ。」という。

学友の井上博道、写真部副部長であった彼に 何とかならんか、とその窮地を話した。

提供された一枚の写真は当時流行り出した アイススケート場の、梁の上から俯瞰したもの、 フィギュアーの女性と描くシュプールは 視覚的にも珍しかった。

文句無しに2単位になった。 私の卒業は彼なくては出来なかった。 1954年の春で今では考えられない時代だった。

当時はASA100のフィルムがようやく出た頃、 セミサイズの蛇腹がのびるミノルタⅢCと言うカメラ。

それは彼が死んだ今も大事に保存されている。

井上はのち新聞記者カメラマンから独立して、 入江泰吉につぐ奈良の写真家として活躍、 良き友として半世紀以上の付き合いであった。

一昨年撮影中の事故で亡くなったのは まことに惜しい写真家を失ったことである。

国産カメラはシャターも250分の1まで、 オートフォーカスはまだだった。 後ろ蓋の覗き穴から送られるフィルム番号を 確認して一枚一枚の構図を、ライティングを確認し、 丁寧にシャターを押していた当時であった。

数の中から良いのを選び出す今、シャター以前の心構え、 五感の働かせ様が丁寧でなければならないと反省されるのである。

一枚の写真のおかげで私の履歴書は 大学中退にならなかった話である。

京都府 在住 宮城さん

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50も過ぎた熟年夫婦ですが、 お互い仕事を持って働き、 それもお互い曜日に関係なく、 夜勤勤務もあります。

仕事の関係で、すれ違いの生活も多く、 夜勤明けの時など、昼間、妻は仕事でいなく、 一人で過ごすことも多々あります。

そこでカメラを持ち出し、 あっちこっちに出かけ いろいろな風景を撮って帰り、 夜、食事をしながら、 撮影した画像をテレビに映し出し、

「ここはどうだった。」 「あっちはまだまだだった。」

と自分の出かけた場所の説明をします。

そして、休みの日が一緒の日(数少ないですが)は 2人で同じ場所に出掛けたりします。

妻とのコミュニケーションを取る手段として カメラは重要な品物です。

香川県 在住 山本さん

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私は写真暦は長いのですが 今まで花を撮るというのは ありませんでした

それが今の会社で 「入り口に飾る写真を撮っていただけないか」 ということで、 時季的にバラを撮ることからはじめました

その写真を何枚か大きくプリントして 貼らせていただきました

それをきっかけにして、 旬の花を先駆けて撮るようにしてから それを見ていただいた人から

「とてもきれいだね」 「どこの場所?」

とか聞かれて、そのたびに下手な写真の中から 自分なりにきれいと思われる写真を プリントしてあげました

その辺りから花の写真を 多く撮るようになりました

それまで、花の名前、時季、どこで撮れるのか、 をネットでもまた口コミ等でもお知恵を拝借しながら 下手ながらに撮りました。

喜んで頂ける人がおりましたので、 それをバネにして、それこそ朝の1番電車やら 車で目的地まで足を伸ばしたり、 喜んで頂けると思うことが原動力でした

しかもその方が私の下手な写真を アルバムに保管して4年位も経った後に 見る機会があり、「これほど溜まったのよ」と 見たときには感激いたしました

しかしその方も退職され、 今もわずかながら撮ることがあるのですが、 あの頃のように喜んで頂ける方がいない ということがさびしく、 喜んで頂ける人がいるというだけで これほど写真の力があったことを いまさらながらに感じる次第でございます

東京都 在住 金さん

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フォトアドバイスでは、今回のような 「写真のチカラ」のエピソードを募集しています。

– 一枚の写真が人と人をつないだ – 写真のおかげで励まされた、救われた – 人の気持ちを豊かにする写真に出会った

など、身の回りで「写真のチカラ」を実感した エピソードを教えていただけませんか?

・写真を撮る目的を見失った方 ・写真を始めて間もない方

に「写真を撮る意義」に気づくきっかけになってほしい。

そういう願いを込めています。

日常の些細なことでかまいません。 簡単な文章でかまいません

ぜひ、「写真のチカラ」に気づいたエピソードをお送りください。

「写真のチカラ」エピソードを記入して送信する ↓ https://pro.form-mailer.jp/fms/ad3dd4c557634

シャッターを押すことで 「人と人のつながり」を創る

それが、一眼レフに出会った 私たちに課せられた使命なのかもしれません。

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